標準語を決めたのは明治政府

 

 

日本は多言語の国だった

 

近代国家を目指す明治政府は、

外国との戦争も視野に入れました。

 

藩ごとでなく、

国として軍隊を編成するには、

共通の言葉が必須となります。

 

命令が正確に伝わらないと、

軍として機能しないからです。

 

兵隊の出身地ごとに、

翻訳している暇はないからです。

 

そのために、

国語教育に力を入れました。

 

体育も遠足も、

軍事教練の目的がありました。

 

そのさい標準語としては、

東京でも山の手に暮らす

人達の言葉を取り入れたのです。

 

 

標準語が定められると差別が生まれた

 

社会でも、教育現場でも、

方言は使ってはならないという、

雰囲気を生み出しました。

 

訛りがあるだけで、

田舎者と笑われました。

 

日本の社会は異分子が嫌いです。

少数派は弾圧されます。

 

それをやるのは、

率先して攻撃するのは、

大多数の無知な国民です。

 

大人を真似して、

子供たちも少数派をいじめます。

 

日本で生き残るため、

必死で標準語を覚えました。

 

その結果、

生まれ故郷の大切なお国言葉は、

封印されていきました。

 

テレビが普及した現代では、

一部の地域を除いて日本中の人が、

同じ言葉を話すようになりました。

 

 

方言を見直す動きもあります

 

影響力のある有名人が方言を使うと、

これは良いきっかけになりますね。

 

今回の北海道弁も、

なんだかいい感じじゃありませんか。

 

「そだねー」

 

語学教育はいまだに、

鎖国政策のような内容です。

 

英語一つだって、

誰も話せないのがその証拠です。

 

海外にも、

国内にも、

心の開国が待たれます。